角膜移植医としての最近の雑感
日々の診療に追われながら、患者さんとのコミュニケーション不足の現状を痛感している毎日ですが、時に患者さんの入院中に、病室や診察室でいろんなお話を聞かせていただき、とんでもなく感銘をうけることがあります。今回そんな素晴らしいストーリーを二つばかり紹介させていただこうと思います。
まずお一人目は、73歳男性の患者さんです。定年間際の59歳の時に労務中に誤ってアルカリ薬品を顔面に浴びて、その後の経過で、両眼の視力をほとんど失われました。診察の結果、手術によって視力回復の可能性があることを説明し、角膜移植を施行することになりました。視力がほとんどないので、もちろん全面的な介護が必要だったわけですが、ご家族が非常に優しく対応されていだのを印象的におぼえています。手術後3日目にお部屋にうかがったときに、鮮やかな赤色のチューリップが花瓶にいけられており、患者さんはそのきれいなお花をみることができたのを非常に喜んでおられました。翌週お部屋に伺ったときにこんなお話を伺いました。
”なあ、先生。わしはほんとうに定年退職の直前に怪我をして定年後はずっと視力のない生活をしてきたんじゃ。怪我したあとすぐに初孫がうまれたんやが、その子を抱きあげてその重みを感じたり、泣き声を心配したり、小学校の音楽会につれていってくれておぼえたての楽器演奏を楽しんだりしてたんです。わしはそれを運命として感じ、それがわしの余生やし、これでええと思って20数年間過ごしてきたんです。今目、手術して目が見えるようになって、小さな幼子が自分の目の前におりました。だれやと思います。その初孫のこども、ひ孫やったんです。その子を抱いてるお母さんとなった孫の顔もはじめてみることができたんです。手前味噌やけどかわいい笑顔でわしに話しかけてくれました。ほんまこれが浦島太郎なんやなあと感じながらも、今後は孫とひ孫の二世代を見守っていくことができるようになったのが、わしの最後の楽しみです。”
もうひとりの方は79歳女性、3年前に角膜移植をうけられ順調な経過でしたが、1週間前から急激な視力低下してきたといって来られたときには角膜移植片には高度の拒絶反応が生じていました。そういった場合、ステロイドホルモンや免疫抑制剤の全身投与は点眼で治療するのですが、この方は腎臓をはじめいくつかの持病があり内科医からは、”あまり大量の薬剤投与は望ましくない”とのアドバイスがあったため、”他の人よりは少な目の薬剤量で治療をしましょう。もし移植片の透明性が戻らなければ、再移植という方向性もありますし”と方針説明したところ、”あんたはなにをバカなことを言うとるんですか!”と一喝して叱られてしまいました。”わしは手術によって視力が戻ったときに、この角膜をくださった方に心から感謝しました。わしは死ぬまでこの角膜と生きていくって決めたんやからなんとかしてください!”と。ご家族にうかがったところ、手術後、このおばあちゃんは、角膜提供者の善意にむくいようと毎日近所の氏神さんに御参りしておられたそうです。また病室のベッドの枕元にはその氏神さんのおおきな御札が貼られていました。内科医と毎日全身の血液データにはらはらしながらも、通常量の薬剤投与を行い、拒絶反応は押さえ込むことができ、移植片は透明性を回復することができました。最近も受診いただき元気なご様子でしたが、おばあちゃんの手提げかばんには、新しいアイテムとしてその氏神さんのお守りがゆれていました。
視力の回復は、人間の生き方や考え方を非常にポジティブにする大きな力をもっていることを再認識すると同時に、少しでもその役に立てればと思う今日この頃です。 |